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深い木立と、重厚な屋敷構えで知られている角館町は、元和6年(1620)角館地方を領していた芦名義勝によって造られた。三方を山に囲まれ、南の玉川筋によって仙北平野に開いている地形は城下町を形成するため、最も適している場所であった。
町を造るには、現在の古城山(城跡)を北端として、南に向けて三本の道路を設定し、これを中心に造ったと言われている。 |
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町の中央部が、幅25m、東の花場山の麓から西を流れる桧木内川まで、町の最も狭い部分を分断する形で武家町と商人町が区分されている。
北側に位置する武家町は、深い木立が覆い、一方、南の商人町は町並みがびっしりと埋めて対照をなしている。町が造られた当寺の元和6年には、武家屋敷80戸、商家350戸と数えられ。秋田藩の支藩としては最も大きな城下町を形成していた。
以来380年余、町の形は大きく変わっていないし、特に内町という武家町は、道路の幅から曲り角一つまで、そのまま残っている。まさに角館は歴史の生きている町でもある。(ガイドマップ参照) |
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