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祭神として崇道天皇(早良親王)、吉備真備はじめ十三柱の神霊を祀る。延暦13年(794)平安京遷都に際し、桓武天皇の勅願により王城守護の神として、奈良・平安時代初期に不運のうちに薨(こう)じた八柱の神霊を祀ったのが当社の初めである。のち明治天皇の御願により祭神五柱が増祀された。平安時代には御霊信仰(天変地異や疫病流行は怨霊のたたりであるとする信仰)が盛んであったが、当社は古来疾病除の霊社として有名である。本殿は享保18年に下賜された賢所御殿の遺構を復原したものであり、また当社には神輿・牛車等皇室のご寄付品多数を蔵する。
境内は「御霊の杜」といい、応仁元年(1467)正月18日畠山政長と義就の合戦が行われた応仁の大乱の発端となったところである。 |
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