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「フラワ−ランドかみふらの」は、中富良野から美瑛ヘ向かう国道237号沿いにある広大な花畑(観光農園)です。園内では四季おりおりの花が咲き誇り、十勝岳連峰を背景に雄大な景観が広がっている。園内にはトラクターバスが運転されている。 |
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<伝承の楡>
富良野盆地の開拓発祥の地は十勝岳連峰を中心として左に大雪山、右に夕張岳連峰と三方を山並みに囲まれた上富良野町草分地区である。
明治30年(1897)4月12日、田中常次郎氏を団長とする三重県人団体が入植第一夜を楡(ニレ)の木の下で野宿したことに始まる。三重団体は上富良野だけでなく、上川管内空知全部を開拓発祥の地草分とし、現在一市四町村にまたがっている。
人跡未踏の地に開拓の鍬を打ち込んで以来忘れることのできないことは十勝岳の3回にわたる大爆発である。特に大正15年(1926)5月24日の大爆発は美田美圃を一瞬のうちに泥流の海と化し144人の尊い人命を失う大惨事となった。
苦節30年の結晶である水田500ヘクタール、畑300ヘクタールを失い、被災戸数も150戸に及んだが、その後大正末期、昭和初期にわたって災害復興という形で過去に例のない2度目の苛酷な開拓が進められていった。
かつて村民のシンボルだった楡の木も爆発とともに枯れたが、昭和21年(1946)4月12日の開拓記念日に憩いの楡として記念碑が建てられた。
当時を偲ぶとき、その惨状から時の指導者は離村か復興か思い悩んだと思う。
胸に去来したものは遠い三重県の地から北海道開発に賭けた壮大な夢とロマン、原生林が生い茂る大地を血と汗で苛酷な大自然との斗いに耐え抜いた不屈の精神の証しを一瞬にして失うことだった。
そして、進取憂国の士で知られる蝦夷地探検で有名な松浦武四郎、入植者団長田中常次郎の血を受け継いだ当時の古田貞次郎村長は三重県人として脈々と流れる旺盛な開拓魂で第二の故郷として命をかけ、万感を胸に憩いと安らぎを求めた草分地区を見捨てることはできなかった。
これは私達現在に生きる者が決して忘れてはならない歴史的事実であり、私共は地域の住民として先人に心から敬意を表したい。
以来90有余年、我が町は農業の町として発展、泥流地帯も完全復興を遂げた。美田美圃、産業の基軸として発展し四季を通して景勝の地富良野盆地は年間何百万人の観光客が訪れ、全国にその名を知られるようになった。
過去を顧み、将来を展望するためにも、郷土愛を継承し、高揚するため今日に至った過程を後世に伝承することは現在に生きる者の義務であると考える。
由緒ある富良野平原開拓発祥の地、草分地区を見渡せるこの地フラワーランドにシンボルとして楡の木を植栽して先人の遺徳を偲び我が町の文化遺産として追慕し、憩いの楡を再生し郷土の輝かしい歴史を後世に伝承したい。
そしてなによりも自らの胸に開拓者精神を新たにし、先人が選んだ豊かなる大地、上富良野の町を21世紀を目指して我が国農業の最大の発信基地としての役割を果たすことを最大の使命と考え、我が心に刻むものとする。
平成4年(1992)4月12日 有限会社 フラワーランドかみふらの
創立者 伊藤孝司 加藤幸正 |
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