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大正7年(1918)、スコットランドへ単身留学し、ウィスキー製法を日本人として初めて学び、日本最初の国産ウイスキーを世に出した一人の日本青年、それがニッカウイスキーの創立者・故竹鶴政孝でした。
竹鶴は余市のこの地がスコットランドの気候・風土や立地に酷似していることを発見し、ここをウイスキー製造の地として原酒工場を建設した。 |
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蒸溜したばかりのウイスキーは、無色透明だが、樽熟成により、芳香豊かに洗練されて深みを増していくと同時に、熟成をあらわす「琥珀色」になっていく。この琥珀色の着色物質は、樽材成分である色素で、これがウイスキー貯蔵中に樽材から溶け出し、無色透明であったウイスキーが琥珀色に染まっていく。
しかし、これらの反応は一様ではなく、樽のサイズ、内面の焼き方、履歴、貯蔵環境、度数などによって異なってくる。新樽で貯蔵したウイスキーの色は濃く、古くなるほど溶け出す成分が少なく、色つきも薄いようです。 |
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この建物は竹鶴の事務所として昭和9年(1934)7月に建てられたものです。
日本ウイスキーの生みの親となった竹鶴が、今日のニッカウヰスキーの隆盛という一大事業を成し遂げた原点として、また余市町の工業発展の足跡を示す文化的遺産の一つとして、この建物は貴重なものとされ、余市町より文化財指定という栄誉を受け、永く後世に伝えることになったものである。
有形文化財建造物 ニッカウヰスキー株式会社工場創立当時の事務所(旧社名:大日本果汁株式会社) |
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この建物は、ニッカウヰスキー創業者である竹鶴政孝・リタ夫妻が暮らした私邸の母屋を復元したものです。 |
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左側はピート(草炭・泥炭) |
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樽の成分がウイスキー熟成に必要であり、不可欠であることがわかっていても、人為的に熟成を速めることは現在まだ可能にはなっていない。
科学では解明できない神秘のロマンに秘められた、琥珀色の世界と熟成の不思議は”樽”だけが知っているようです。まさにウイスキーにとって、樽は熟成の眠りに欠かせない「ゆりかご」といえる。(解説文より) |