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酒どころ伏見を象徴する景観として多くの人達が訪れるこの一帯は、「重要界わい景観整備地域」に指定され、また「京都百景」のひとつとして親しまれている。
月桂冠は寛永14年(1637)、この地で「笠置屋」酒銘「玉の泉」として創業した。以来、伏見城外堀に面した大蔵家本宅や酒蔵、旧本店など、江戸後期から今日に至る建物が歴代当主によって築かれ、今日に伝わっている。
酒の博物館「月桂冠大蔵記念館」は、かつての酒蔵を活用し、昭和57年(1982)に開館した。酒造り唄の流れる館内には「京都市指定・有形文化財」の酒造り用具をはじめ、明治期のびん詰め商品やなつかしいポスター、写真等を展示している。(きき酒有り) |
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<左画像>
水を汲み、米を洗い、水に漬ける、桶を洗うといった作業に関する用具類。
<右画像>
米を蒸す際に使う用具類。 |
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<麹づくり>
麹(こうじ)をつくる部屋を「麹室」という。この「麹室」の床に約32℃に冷ました蒸米を運び込み、麹菌の胞子を散布し、手で十分に床揉みをして積み上げる。15時間後、固まった米を再び手で揉みほぐし(切り返し)、麹菌の繁殖をすすめ、それから3時間後、麹蓋に約1.5sずつ盛り分け、それを棚に6枚ずつ積み重ねる。その後、2〜3時間おきに仲仕事、積み替え、仕舞仕事、積み替え、と手を加え、約40時間で麹ができあがる。
<敷布>
竹簀(たけす)の上に筵(むしろ)をひき、その上に敷く。飯試(めしため)で運ばれてきた熱い蒸米を適温まで冷ます。(右画像) |
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<醪仕込み>
醪(もろみ)を圧搾、ろ過して、新酒と板粕(いたがす)に分ける。醗酵(はっこう)が終わった醪を酒袋に分けて入れ、袋の口を折りたたんで酒槽(さかぶね)の中に積み上げる。醪を全部酒袋に入れ終わると、その上に押蓋をのせ、さらに盤木(ばんぎ)を置き、ハネ棒の先に石を少しずちう吊し、ゆっくりと醪を搾る。このとき最初に出てくる白濁した酒を「荒(新)走り」(あらばしり)という。 |
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<酒銘 玉泉の由来>
約380年前、三代将軍徳川家光時代に、大倉家が酒造業を始めた最初の酒銘。玉は命の美称で、「酒は命の泉なり」の理念と酒造りへの心意気を伝えている。桃の絵は桃太郎伝説から、生命の根源、生み出す力を象徴している。〜寛永14年(1637)〜 |
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<さかみず>
この一帯は寛永14年(1637)創業の月桂冠発祥の地です。今もこんこんと湧き出る「さかみず」は酒造りの命の水です。この井戸は昭和36年(1961)に新しく掘り直したもので、地下約50mからの水は、隣接する酒蔵で使われている。
その清らかに澄んだ水はきめ細かくまろやかな酒質を生み出す源になっている。「さかみず」という名は「栄え水」とともに古くは酒の異名でもあった。 |
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寛永14年(1637)、初代・大倉治右衛門が京都府南部の笠置(かさぎ・現在の相楽郡笠置町)から、城下町であり、宿場町、港町としてにぎわう伏見に出て来て創業。
屋号を「笠置屋」、酒銘を「玉の泉」と称した。創業から250年ほどは、主に地元の人たち、旅人相手に商う小さな酒屋であった。 |