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<大噴湯>
文化11年(1814)、江戸 時代の紀行家菅江真澄が60歳のとき、小安温泉を訪れ大噴湯(地元では、からふけと呼ぶ)を「雪の出羽路」、「勝地臨毫」に克明に記録している。
「湯が三、四丈(9m〜12m)も吹き上がり、霧となって散っていく。噴湯が岩の裂け目ごとに湯気の雲を湧き起こして、雷神のような響きを立て吹き上げるように湯が出ている。」
<大噴湯の温泉データ>
泉温 91.3度 湧出量 毎分223リットル |
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<小安温泉の由来>
その昔、木こりが山中の泉で足の傷を治している麋(び:カモシカ)を見て温泉を発見したという説と、片脚を折った鶴が脚を温めていたところ十日で治り飛び立つ姿を見て温泉を発見したという説があり、諸説いずれにしろ、温泉の効能を知った村人が湯壺(風呂場)を作り、近在の人が入浴したところ、様々な病気が治ったことから広く知られるようになり、院内銀山を見廻りに来た佐竹藩士がお供を連れて温泉を利用するなど、多くの人々でにぎわった。
佐竹藩では、温泉を発見し特に功績があった者に湯別当という称号を与え、温泉の税金(運上銀)を藩に納めた者だけが温泉経営を許された。
・寛文6年(1666) 佐竹義尉(よしやす) 入湯
・宝永4年(1707) 佐竹南家奥方 入湯(お供百十人余り)
・文化8年(1811) 佐竹藩主 天樹院義和(よしまさ) 来湯
(小安峡景観保全協議会) |
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