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下田港が歴史の表舞台に登場するのは幕末である。外国船が、初めて来航したのは嘉永2年(1849)、イギリス軍艦マリーナ号である。その後、嘉永6年(1853)、アメリカのペリーが浦賀(神奈川県横須賀市)に来航し、開港を求めたことに始まる一連の経過は歴史の歯車を確実に進めていった。幕府は、日米和親条約により下田と函館の2港を開港した。
ペリー艦隊は下田港に来港、いぬばし島とみさご島との間に停泊した。そして、「下田条約」を結んでいった。その時期に吉田松陰がアメリカに密航しようとして失敗したことはよく知られている歴史的事実である。この近くにペリー上陸地の碑がある。静かな港には、激動の幕末があると思うと感慨深い。
<吉田松陰 辞世の句>
身はたとひ 武蔵野野辺に 朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂 |
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