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本島は塩飽諸島の中心で、江戸時代は塩飽水軍の根拠地でもあった。島内には江戸時代を面影を残す重要伝統的建築群保存地区や塩飽勤番所がある。
本島港は、本島汽船の「丸亀←→牛島←→本島」のフェリー・連絡船の発着港である。併せて小規模ながら漁港としての機能ももつ。 |
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<朝日丸遭難救助感謝の碑>
本島港の近くに「朝日丸遭難救助感謝の碑」がある。
昭和19年(1944)2月5日旧海軍病院船、朝日丸衝突かく坐す牛島南西海上厳冬の波高く、既に後尾甲板は、波浪の洗う処となる、時に本島及び牛島の村長以下農民の方々自発的に集まり、その頃の乏しい食糧事情をも、意に介さず、我らの為に緊急炊き出しを給う、熱き飯を握る掌の痛み、月なき荒天の夜の海を、小さな漁船を操り運ぶ困苦は如何ばかりであったろうか、生涯に最高の美味として、心に刻まれた。あの5000個の握り飯と梅干の情けを忘れ難く、当時乗船の第72期軍医科第40期薬剤科、第4期歯科医科士官(涛光会)一同759名、心からの感謝をこめてこの碑を建つ。 |
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