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瀬戸内の中央に位置する鞆は内海の潮の干満の分岐線にあたる。
内海を航行する多くの船はこの潮に乗っての航法であったので「潮待ち」をここ鞆で行った。こうしたことが多くの伝説を生み万葉に歌われ、中世から近世にかけて歴史上の舞台として度々登場したゆえんである。
明治以降、鉄道の開通、汽船の就航等により「潮待ち」をする船もなくなったが、今日もなお当時の港の活況を察知しうる港湾施設が良く残っている。
沖に突出する波止、ここにある常夜燈、雁木という階段状の船つき場、港に面しての豪商や回船問屋とその土蔵等々江戸時代の港町鞆の繁栄ぶりを示すものである。 |
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この船着場は、文化8年(1811)に築かれたもので、雁木、常夜燈(安政6年 1859年再建)はいずれも花崗岩製である。なおこの船着場に臨む建物は背後の保命酒屋、旧中村家(県史跡鞆七郷落遺跡)に関連するものである。(福山市教育委員会) |
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