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伊豆半島の南端に近い下田港は、昔から江戸への回船の重要な寄港港として栄えていたが、幕末の開港問題で有名になった。安政元年(1854年)、アメリカ提督ペリーの黒船艦隊が下田港に来航し、日本の開国の地となった。その後、タウンゼント・ハリスが玉泉寺に着任し、ここを米国領事館とした。吉田松陰は金子重輔とペリー搭乗のポーハタン号に乗りつけ、便乗を懇願したが拒否されるという事件の舞台にもなっている。
下田港というとどうしても先に歴史的経過が出てきてしまうが、漁港としても近海漁業や沿岸漁業の基地になっている。静岡県内外から多くの漁船が集まり、キンメダイ、サバ、カジキマグロ、カツオ等を水揚げする。漁場は主に伊豆七島や小笠原諸島付近です。なお、昔から4月から10月頃まで天草取りをする。
釣り人も多く、下田港内の防波堤では休日ともなると家族連れなどでにぎわう。磯釣りをする人も多く、釣り船の営業も盛んである。また、あまり知られていないことだが、日本一速いカーフェリー「希望」で、清水港と結ばれている。(現在は廃船となった)
早朝訪れたらキンメダイが水揚げされている。ずらっと並べられていると壮観である。 |
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