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モータースポーツに魅了した若者たちは、レーサーを夢見てサーキットにおもむき、自らステアリングを握るようになった。アルバイトの掛け持ちなど寝る間も惜しんで得た資金で比較的費用が抑えられたカテゴリーのレースにエントリー。入門フォーミュラと呼ばれたFJ1600では70台近くにのぼり、予選を2回に分けて行わなければならないほどだった。
展示車は年間5000台以上生産される市販車をベースに、ロールバーなどの安全装置やサスペンション以外はほとんど改造が許されないN1仕様。筑波フェスティバルナイター9時間耐久レースに参戦し、ポール・トゥ・フィニッシュを飾った。平成元年(1989)
エンジン |
水冷4サイクル 直列4気筒横置 DOHC4 バルブ 1,595cc |
最高出力 |
160PS/7,600rpm |
重量 |
1,100s |
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<全日本選手権 インターナショナル F3000>
バブル景気は国内レースにも数多くのスポンサーをもたらした。国内最高峰のフォーミュラカーレース”F3000”では規定出走台数を超えるエントリーを集め、毎戦予選落ちが出るほどの盛況ぶりをみせた。
最大のライバル中嶋悟がF1へとステップアップしていった昭和62年(1987)以降は、”日本一速い男”ことベテランの星野一義が若手ドライバーからの勝負を受けて立つ格好となる。そして星野を下しシリーズチャンピオンを獲得した鈴木亜久里や片山右京が、中嶋に続くフル参戦ドライバーとしてF1デビューを果たした。またF1で活躍したエディ・アーバインやジョニー・ハーバート、ミカ・サロなど多くの外国人ドライバーも”全日本”を経験しており、F1への登竜門カテゴリーとして注目を集めた。 |
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