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スピードと旋回性能の両立を目指した陸軍の戦闘機
昭和16年(1941)12月に各務原飛行場で初飛行し、昭和20年(1945)の終戦まで約3,000機が生産された。各務原で一番多く製造された飛行機。
主任設計者は、のちに国産旅客機YS-11にも携わることになる土井武夫。当時国内で主流であった空冷エンジンに比べて空気抵抗を小さくできる液冷エンジンを採用したスマートな胴体に、細長い主翼を組み合わせることで、速度と旋回性能の両方を狙った、
展示機はエンジンをパワーアップした二型の増加試作機(機体番号6117)で、現存する唯一の二型である。 |
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<ハ40エンジン(「飛燕」一型搭載部品>
ハ40エンジンは三式戦闘機一型「飛燕」に搭載されたエンジン。燃料噴射ポンプは昭和17年(1942)に三菱重工業名古屋発動機製作所で、それ以外は川崎航空機工業で昭和19年(1944)頃に製作されたもの。
<過給器>
ハ140エンジン(復元品)。空気が薄い高高度において、エンジンの出力を維持するために濃い空気を送り込む加圧装置。 |
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<水滑油冷却器>
飛燕二型搭載(復元品)
<配電盤>
「飛燕」を空冷エンジン化したキ100・五式戦闘機に搭載されていたもの。 |
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<計器盤>
三式戦闘機一型乙「飛燕」の計器盤。
<車輪>
主輪と尾輪。 |
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<落下タンク二型(木製)>
第二次世界大戦中に使用されていた燃料タンク。戦闘機などの主翼下面に取り付けられ、中の燃料を使い切ったら投棄するので「落下タンク」と呼ばれる。
一式戦闘機「隼」、三式戦闘機「飛燕」、四式戦闘機「疾風」、五式戦闘機などで使われ、アルミニウムを節約するため、代用品として木材で作られている。岐阜県の飛騨高山地域は良質な木材の産地であり、木工製品の高い加工技術があったため、県内の木工会社でも落下タンクの製造が行われていた。展示品は製造会社までは特定できていないが、岐阜県内で作られた可能性もある。
全長 |
1600 o |
直径 |
450 o |
自重 |
15〜17 s |
容量 |
200 リットル |
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展示の機体は(機体番号6117)は、戦時中に東京・福生飛行場(現:米軍横田基地)を拠点にしていた、陸軍航空審査部の所属機とされる。終戦を迎えると米軍に接収され、多くの日本軍機がスクラップ処分になる中、奇跡的に横田基地の屋外展示として残された。日の丸を米軍マークに変えられていた時期もあったが、昭和28年(1953)に日本に返還。日本航空協会の所有となり、展示会など各地を転々とした後、昭和61年(1986)から鹿児島の知覧特攻平和会館へ貸与されていた。平成27年(2015)9月、故郷の各務原に里帰りし、川崎重工業各務原工場での修復を経て当博物館で展示されることになった。(説明文は現地解説文より引用)
全幅 |
12.0 m |
全長 |
9.2 m |
全高 |
3.8 m |
全備重量 |
3,825 s |
最高速度 |
610 q/h |
乗員 |
1名 |
エンジン |
ハ140 水冷倒立V型12気筒 1,066kW(1,450馬力/離昇 |
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