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宇治橋の上流宇治川の右岸、この辺りは応神天皇の離宮(桐原日桁宮)跡でもあり、皇子の菟道稚郎子命(うじのわけいらつこ)の宮居の跡と伝えられている。
応神天皇が稚郎子命を天位に任命するが、稚郎子命は王仁(ワニ)博士から儒教の思想を学んでいたので、兄の大鶴鷺命(オオササギノミコト・後の仁徳天皇)を差し置いて天位に就く事が儒教の思想(長子相続)と違ったため、稚郎子命は天位を兄の大鶴鷺命に譲ったが相譲りあいの後、死をもって節を全うした。
後に、兄の仁徳天皇は稚郎子命の宮居に祠を建て神霊を祀ったのが、この神社の始まりである。
本殿は、鎌倉時代初期の建物で、三間社流造り・桧皮葺きで神像と共に国の重要文化財に指定されている。
<木造狛犬>
本殿外陣に安置されている木造の狛犬は、開口する獅子(阿形(あぎょう))と一角をもつ狛犬(吽形(うんぎょう))で一対とする。現存する木造の狛犬の作例中では最大級に属する。当初から一対として神像守護の霊獣として造られ、前脚をふんばり胸を張った緊張感のある姿勢、豊かなたてがみのそよぎや面部の肉取り、背筋が立ち、肋(あばら)をあらわにした引き締まった体など、各所に鎌倉時代ならではの写実的な表現がみられる。
彫技においては阿形が優れ、格調高い面貌表現は特筆すべきものがあり、鎌倉時代前期の作例にあい迫る佳作として極めて貴重である。
なお、他に喜兵衛作の桃山時代の白色尉面(じょうめんー雪搔きの面)が市の指定文化財に、また、平安時代の木造菟道稚郎子座像と鎌倉時代に造られた本殿はともに国の重要文化財に指定されている。(現在、木造狛犬は市歴史資料館にある) |
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