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<牛久保の若葉祭>
八幡社の創建は、奈良時代と伝えられ、仁徳天皇と応神天皇が祀られており、当時は若宮殿と呼ばれていた。
一色城主牧野茂時(古白)が、ある年の4月8日に、この若宮殿に参詣した時、駿河の領主今川氏親(うじちか)より馬見塚(現豊橋市)に築城を命じられた。喜んだ古白は、社前の柏の葉で御神酒を献じて家臣と共に祝い、家紋を三ツ柏に改めた。
このとき、境内の若葉が照り映えているのを見て詠んだ古白の句「きのうけふ(今日)若葉なりしか杉の森」にちなみ、この祭を「若葉祭」と呼ぶようになった。
古白はじめ、代々の城主は、若葉祭の時、領民の主だった者を城中に招いて酒食をふるまった。酒に酔った領民たちは帰る途中、ごろごろと路上に寝ころんでしまった。
この様子を今に伝えているのが、祭の神幸行列の最後尾を受け持つ「やんよう神」の一行です。路上に寝ころぶ様子が「うじむし」に似ているところから、この祭は「うなごうじ祭」とも呼ばれている。愛知県指定無形民俗文化財 |
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