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康平5年奥州の乱を鎮圧した源義家が凱旋のおり、日本武尊命の先蹤にならってこの地に兜と太刀を納めたのが始まりと伝えられる。江戸時代に、敷地内に不思議な穴が見つかり、金属製の阿弥陀像が出土したことから穴八幡宮というようになった。10月10日に行われる流鏑馬(やぶさめ)が有名である。
<高田馬場の流鏑馬>(やぶさめ)
享保13年(1728)八代将軍徳川吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で穴八幡神社の神事として流鏑馬が奉納された。
明治維新以後中断し、昭和9年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和39年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和54年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年10月10日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。古式豊かで勇壮な高田馬場流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。現在は都立戸山公園に会場を移して小笠原流流鏑馬として公開されている。 |
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