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氷川神社の社殿は、本殿・幣殿・拝殿の三つの建物が一体となった、いわゆる権現造の形式です。江戸幕府の第8代将軍である徳川吉宗によって享保15年(1730)に建てられた。吉宗は『享保の改革』と呼ばれる倹約政策をとったことで有名で、社殿にも当時の質実簡素な気風を見ることが出来る。
通常は将軍の寄進するような社寺であれば、軒下の組物を何重にも重ねたりするのだが、この社殿の組物は簡素で、彫刻も目立たない。しかし、ただ簡素なだけではなく、大きな雲形組物や吹寄せ垂木など軽快な意匠を取り入れる工夫も見られる。また全体は朱漆塗としながら、部分的に黒漆塗や黒色金具を用いることで引き締まった印象となっている。
東京都の有形文化財に指定されている。麻布氷川神社、渋谷氷川神社、簸川神社などとともに江戸七氷川に数えられ、その筆頭とされる。
祭神は、 素盞嗚尊(すさのおのみこと)、奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)、大己貴命 (おおなむぢのみこと) |
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氷川神社の本社は埼玉県さいたま市に鎮座する旧官幣大社・武蔵国一ノ宮の氷川神社です。ここから御霊を分霊し、各地に氷川神社が祀られている。 |
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<瑤泉院の邸跡>
この地は、忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人 瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡である。大石内蔵助が討ち入り前に訪れて別れを告げたといわれている。「南部坂雪の別れ」で有名な「南部坂」が近くにある。 |
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<氷川神社のイチョウ】
目通り(地上1.5mの高さ)の幹径約2.4m、幹周約7.5mを測る樹齢400年の巨樹である。
氷川神社の記録をはじめ記載された史料はないが、神社が現在の地に建立された享保15年(1730)には、すでに100年を越える樹齢を有していたこととなり、それ以前からこの地で成育していたと考えらる。
イチョウは、生きた化石とも言われ、一億五千万年前には地球上のいたる所で生い茂っていた。氷河期に絶滅しかけたが、中国大陸南東部に残っていたものが、日本に渡ってきたといわれている。落葉性の大木で成長も早く、高さ30mにも成長する。雌雄異株であり、この木は雄株である。
港区内に現存するイチョウでは、最大である善福寺「逆さイチョウ」(国指定天然記念物)に次ぐ大きさと樹齢を保っている貴重な樹木である。(東京都港区指定文化財 天然記念物) |