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香川の金刀比羅宮が総本社で、金刀比羅宮東京分社は末社にあたる
<由緒>
下板橋宿の板橋市左衛門が所有地内に金毘羅大権現を観請した。明治13年(1880)、無格社・金刀比羅神社として公認された。昭和30年代になり、崇敬者の要望により、松平頼朝氏から寄進された現社地に金比羅宮直轄境外末社・東京分社として再興することになった。以来「水道橋のこんぴらさん」として親しまれている。
<松平ョ重候下屋敷の跡>
この地一帯(東京都立工芸高校 宝生能楽堂 金刀比羅宮東京分社)は高松松平家下屋敷のあったところである。
高松松平家は松平ョ重を藩祖とし徳川光圀とは兄弟の関係にあった。爾来現13代のョ明氏に到るまで松平家は四国にあって教育と経済の振興に力を尽くして来た。
特筆すべきは12代ョ寿氏で、氏は貴族院議長(1937〜1944)として名声をはくし、わが国の議会政治史上に一点をとどめ、他方大正大地震の後、旧本郷区の要請で本郷学園を創設し、我が国教育面に大いなる貢献をした。 |
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