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長崎は、戦国時代にイエズス会の教会領となり、かつて長崎市内に祀られていた諏訪・森崎・住吉の三社は、焼かれたり壊されて無くなっていたのを、寛永2年(1625)に初代宮司青木賢清により、西山郷円山(現在の松森神社の地)に再興、長崎の産土神としたのが始まりです。
慶安元年(1648)には徳川幕府より朱印地を得て、現在地に鎮西無比の荘厳な社殿が造営さた。安政4年(1857)不慮の火災に遭い、社殿のほとんどを焼失したが、孝明天皇の思召しにより、明治2年(1869)に約10年の歳月をかけて明治2年(1869)以前に勝る社殿が再建され、さらに、昭和59年(1984)の御鎮座360年祭、平成6年(1994)の370年祭を記念して、二度の造営を行い現在の社殿が完成された。 |
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諏訪神社の大祭、「長崎くんち」は、異国情緒ある祭として全国的に有名になっている。(10月7・8・9日)国の重要無形民俗文化財に指定されている。 |
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<病魔退散大楠のいわれ>
この大楠は、諏訪神社が360年前に創建された当時の絵図に大きく描かれているので、5・600年は経っているいると思われる。この大楠の幹は大きな空(うつ)ろになっており、中に薬の神である少彦名命を祀った日吉社があったが、近年浮浪者が住み着いたため為コンクリートで塞いでしまった。
しかし、この大楠には昔から難病・奇病除けの感応著しと伝えられ、老幼の参拝するものが多かった。
大楠に祈願の方法として昔からアカエイの絵馬を掛ける風習があり、当神社ではそれを図案化したものを上の授与所で用意している。
石の狛犬は、長崎古史によれば、かつて本殿横に置かれており、「疱瘡その他腫れ物を祈れば感応著しく、その方法自己の患部に相当する狛犬の体位に白紙を張り祈願を篭めたが、維新後その場の地中に埋められて今は無い」とある。
ところが、今回の社殿の大改修工事の際、発見されたので、この地に移し大楠と共に難病除けの霊験を発揮して貰うことになった。
この祠の祭神少彦名命は、大国主命と共に国土経営に務められと伝えられ、薬を司る神として古来より崇められている。 |