|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
第7代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し、人民が離散し国内が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇は、富士の神霊を山足(山麓)の地に鎮祭した。これが浅間神社の創祀です。
日本武尊が東征の際、浅間大神の神助を畏み、山宮の地(現社地の北方6q)に篤く大神を祀られた。
その後、平城天皇の大同元年(806)坂上田村麿が勅命に拠り、神霊を山宮より大宮(現社地)遷し奉った。以来実に一千三百余社に及ぶ浅間神社の総本宮として、全国的に篤い崇敬を集めている東海の名社である。 |
|
|
|
古来、朝廷の崇敬極めて篤く、延喜の制では名神大社に列し、駿河国の一宮として崇められた。武家時代に入ってからは、源頼朝、北条義時、武田信玄、武田勝頼、等の各武将は、それぞれ神領や神宝を献納して篤く崇敬した。
特に徳川家康は、天下を平定した奉賽のため、慶長9年(1604)の本殿以下の諸社殿を奉献し、更に富士山8合目以上を社地として寄進した。
本殿は二層の楼閣をなし、浅間造と称し重要文化財に指定されている。
<富士山信仰>
霊峰富士山は、古来浅間大神の鎮まり坐す神体山として、全国の登拝者の最も尊崇するところである。頂上には奥宮・久須志神社の二社が鎮座しているが、共に浅間神社の奥宮で、八合目以上はその聖域にして境内地である。 |
|
|
|
<湧玉池>
この池は、富士の雪解けの水が溶岩の間から湧き出るもので、水温13℃、湧水量は1秒間に3.6ℓ(約20石)。年中ほとんど増減がない。
昔から富士道者は、この池で身を清めて六根清浄を唱えながら登山するならわしになっている。国指定特別天然記念物
平兼盛 |
つかふべき数にをとらむ 浅間なる御手洗川の そこにわくたま |
|
|
|
|
|
|
その昔、4月・11月両度の大祭礼に、山宮へ御神幸の際、鉾を立てた石。 |