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静岡浅間神社の創建は、延喜元年(901)醍醐天皇の勅願により、富士山本宮浅間神社より分霊を勧請して新宮として造営されたものである。神部(かんべ)神社、浅間(あさま)神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社の3社の総称であり、地元では「おせんげんさま」と呼ばれている。3社はいずれも独立の神社として祭祀が執り行われている。昭和52年(1977)一つの宗教法人となった。
3本社の境内には麓山(はやま)神社・八千戈(やちほこ)神社・少彦名(すくなひこな)神社・玉鉾(たまほこ)神社が境内社として鎮座する。合わせると7つの社があることになる。(国重要文化財)
今川家の人質として静岡の地で暮らしていた徳川家康は、14歳でここで元服した。
<神部神社・浅間神社 大拝殿>
徳川三代家光将軍時代 日光東照宮と共に大造営された社殿は惜しくも火災にて焼失した。
現社殿は11代家斉将軍時代文化年間幕府直営にて巨額の費用と多年の星霜、最高の技術を駆使して造営されたもので豪壮華麗の美極まり「東海の日光」と福されております。殊に類の無い特殊な重層楼閣造りで、世に「浅間造り」と称され当神社の象徴的建造物であります。
高さ81尺(約25m)もあり、外観は彩色絢爛殿内は132畳で、天井には狩野栄信・寛信の筆に成る墨絵龍と極彩色の天女図が画かれている。 |
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<八千戈神社>
本境内社は、明治以前は徳川家康公が合戦に常に奉持した金持仏の摩利支天を祀ったことから東照公ゆかりの摩利支天社と称された。
維新後神佛分離に際し、金印木像は臨済寺に遷され以後八千戈命をご祭神とする。
昭和5年(1930)5月29日昭和天皇御親拝の折には、神部浅間両社御修理中で当社を仮殿としていたので、この大前で御親拝あらせられた。
当社は東照公ゆかりの幕府崇敬の社で、社殿の造営も本社に次いで行はれた。特に名工の誉高い立川和四郎富昌の彫物が中国の二十四の親孝行物語を題材に社殿周囲欄間に飾られていることは著名である。
現在では武神として信仰され、一般に勝負事の祈願所として広く信仰をあつめている。 |
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