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那須温泉神社の歴史は古く、第34代舒明天皇・奈良朝630年に創建され延喜式神宮帳にも上撰されている由緒ある神社です。
那須温泉神社は、源平合戦において那須余一宗隆(説明版には「余一」と記載されている。他では「与一」が一般的に使われている。ここでは説明版の通りに記載する)が屋島の戦いで扇の的を射る時に
「南無八幡大菩薩別しては我国の神明、日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神願わくはあの扇の真中に射させてたはせ給え」
と祈願した神社である。余市名声を挙げて後、那須氏の崇敬をうけ領民こぞって温泉神社を勧請し奉り、現在那須郡内には、八十数社の温泉神社又は湯泉神社が祀られている。
元禄2年(1689)4月、松尾芭蕉は奥の細道をたどる途中、殺生石見物を思い立ち、まず温泉神社に参拝した。芭蕉句集に「那須の温泉神社の相殿に八幡宮を移し奉り両神一方拝まれ給う」とあり、
湯をむすぶ 近いも同じ 岩清水
詠んでいる。 |
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<御神木「生きる」>
このミズナラは、悠久の時を経て直、樹勢旺盛にして力強く「生きる」と命名されている。活力、蘇生力、生命力等のパワーが授けられる巨木として崇められている。樹齢…推定800年、樹高…18m、胸高周囲…4m。
夕闇迫る時刻に訪れる。帰る時には相当暗くなりやっとの思いで撮る。 |
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