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小國神社の祭神は「大己貴命」(おおなむちのみこと)、別名「大国主命」です。創祀は神代と伝えられ上代の事で詳らかではないが、延宝年間(1673〜81)の社記によれば、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられた。後、山麓約6kmの現在地に都より勅使が差遺せられ、社殿を造営し、正一位の神階を授けられた
爾来、年々奉幣に預り、勅使が下向され、文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣し、特に十二段の舞楽を奉奏せられた。 平安時代の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤かった。
江戸時代には徳川家康公により社殿の造営、社領の寄進など代々の徳川将軍家から崇敬された。明治6年6月13日には、国幣小社に列せられ、今は遠江國一宮として、親しみ、崇敬され信仰を広くあつめている。(小国神社HPより)
<遠江森町の舞楽 小国神社十二段舞楽>
当神社の舞楽は、延宝8年の社記によれば、第42代文武天皇の大宝元年2月18日の例祭に勅使が参向し、十二段舞楽を奉納したと伝えられ起源は古く、奈良時代から伝えられたものといわれている。
この舞楽は、乱世にも絶えることなく続けられ、祢宜の鈴木左近家が代々舞楽師範となり、明治以降は氏子一同により、毎年4月17日及び18日の例祭に舞殿において、連舞・色香・蝶舞・鳥舞・太平楽・新まく・安摩・二の舞・抜頭・陵王・納蘇利・獅子舞の十二段が奉納される。 |
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<家康立ちあがり石>
徳川家康の天下統一の基は浜松在城15年間の辛苦の賜といわれる。三方原合戦の前年元亀3年9月、願文と三条小鍛治宗近の太刀を当社に奉りて開運を祈願し、次いで、天正2年4月、犬居城攻略の道すがら参拝し此の石に腰掛けて休息されたと伝えられる。
以来此の事を悲境を乗り越えた「立ちあがり石」と言われ石にあやかりたいとして、人生の再起を念じて石に腰掛けて帰る者少なくない。
<大杉の由来>
この杉は当社の御神木の一つに数えられたもので慶長の古図(約400年前)に大杉と記されており、樹齢千年余りと言い伝えられている。
老木のため中が空洞になり縁だけの年輪(木目)五百余年を数える。古老より願掛杉又は福寿杉とも虫封杉とも言われ、洞内に散残して心願を祈った。惜しくも、昭和47年(1972)台風で倒れてこの地に据える。根株 約11,600s、9m |
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小国神社も横を流れている一宮川に沿って、美しい紅葉の景観を描く人を何人か見かける。境内やその周辺の紅葉も今盛りなり。
<事待池>
本社に詣で願掛けをして心願成就すれば池に鯉を放つので「ことまち池」という。また、池の水を汲み「いぼ」に付けると「いぼ」がとれるというので「いぼとり池」ともいう。 |