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文武天皇元年(697)の創建と伝う。三河国国内神名帳に従五位上牟留天神とみえ貞応元年鎌倉将軍の命により、相州鶴ヶ岡八幡宮の境内を模して三方大門、三ヶ池を掘り市杵島社、若宮八幡社、武内社等を勧請した。
この牟呂八幡社(牟呂八幡宮)は、幕末の「ええじゃないか」騒動の発祥地として有名である。「ええじゃないか」は、慶応3年(1867)、牟呂村(現・豊橋市牟呂(むろ)町)の牟呂八幡社(牟呂八幡宮)に伊勢神宮のお札が降り、民衆が「ええじゃないか」とはやしながら、熱狂的に踊り明かしたのをきっかけに広まったとされる騒動である。この年に大政奉還が行われたため、討幕派が騒乱を起こすための陰謀、仕掛けたとの説もある。
<ええじゃないかの歌>
日本国のよなおりはええじゃないか、ほうねんおどりはお目出たい、おかげまいりすりゃええじゃないか、はぁ、ええじゃないか。 |
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