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社伝によれば、延喜3年(903)醍醐天皇の勅命により国と民を護るために創建されたといわれる。祭神は宇迦之御魂大神(うがのみたまのおおかみ)、神大市比売大神(かむおおいちひまのおおかみ)、大土之御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)の三神である。特に宇迦之御魂大神の母神である神大市比売大神をも合わせ祀ることから「稲荷の元宮」としての信仰も篤い。
当社は古くは西山稲荷、近世には大石稲荷と呼ばれた、とも伝わるが、現在では花山稲荷と呼ばれ、拝殿の右側には「稲荷塚」と呼ばれる古墳がある。この塚は、平安時代の後期に三条小鍛冶宗近が稲荷大神の神徳により、名刀「子狐丸」を鍛えたところとも伝えられている。
この故事に因み毎年11月の第2日曜日に催される火焚祭は「ふいご祭」とも呼ばれ、火焚串を独特の鞴(ふいご)の形に組む。なお、この祭りの際、火中に投げ入れたみかんを食べたり、皮を煎じて飲めば年中風邪をひかないといわれている。 |
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江戸時代には当社近くに隠楼していた大石内蔵助良雄も当社を崇敬し、大願成就を祈願したといわれ、境内には大石良雄献納の鳥居、断食石、血判石といった大石内蔵助に縁のある遺物も残されている。
大石良雄公遺物と表示されている大きな石は、大石内蔵助が、この上に座って食べることも忘れ策を練ることに没頭したといわれている。宮司さんの話では、明治になってこの辺りを開拓したとき、大きな岩を爆破し、その中で一番大きな石を当時の宮司が境内に置いたということであった。大石良雄奉納の鳥居は、柵の向こう側に斜めに立てかけられている。 |
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