|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
伊勢神宮の斎宮に選べれた皇女が、身を清めるために1年間こもったところで、源氏物語の舞台にもなった王朝ロマンの香り漂う宮(野宮神社「ののみやじんじゃ」)。源氏物語にも書かれている黒木の鳥居を彷彿させる鳥居や小柴垣の簡素なたたずまいの小さな社である。
現在は、進学・縁結びの神社として親しまれている。野宮じゅうたん苔の緑も落ち着いた雰囲気を醸し出している。
参拝客が列をなしている。女性、特に若い方が目立つ。紅葉シーズンで訪れる人が大変多い。
<黒木鳥居>
黒木鳥居とは樹皮のついたままの鳥居のことで、鳥居の形式としては極めて原始的日本最古のものである。当社は従来より鳥居の用材に「くぬき」を使用して3年毎の建て替えをしてきたが、近時鳥居に適するくぬきが入手困難となってきた。
そこで何とか昔の面影を残したいと考えていた処幸いにも香川県高松市の日本興業株式会社より自然木の鳥居の寄進を受け、このたび建立の運びとなった。
この「くぬき」は、会社が徳島県剣山(1955m)の山麓より切り出し、防腐加工を施し、奉製をされたものです。また、鳥居の両袖の小柴垣は「くろもじ」を用い、源氏物語をはじめ謡曲、和歌、俳句などにも表された黒木の鳥居と小柴垣の遺風を残したものです。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
3月に訪れる。まだ桜の季節にはやや早いのか人はさほど多くはない。
<野宮神社>
伊勢の神宮に奉仕する内親王が潔斎のため居住された跡で、今三つの祠があり、中央に天照大神を祀り、左右に愛宕、弁財天神を祀っている。
歴代天皇は未婚の皇女を神宮に奉仕せしめられ、これを斎宮(さいぐう)といった。斎宮に立たれる内親王は、まず皇居内の初斎院で一年余り潔斎の後、初めて伊勢に向かわれたが、その時の行列を斎宮群行といった。斎宮は垂仁天皇の時に皇女倭姫命をして奉仕せしめられたのが始まりで、その後北朝時代(14世紀後半)に廃絶した。
野宮は源氏物語にも現れ、謡曲、和歌などに謡われているが、黒木の鳥居や小柴垣は昔のままの遺風を伝えるものである。(解説版)
<野宮(野宮神社)>源氏物語ゆかりの地
平安時代の斎宮が伊勢下向に備えて潔斎生活をした野宮の一つ。斎宮に任命されると、一年間、宮中の初斎院に入って身を清め、そのあと浄野に造られた仮宮(野宮)で一年間ほど潔斎生活をする。平安時代の野宮は主として嵯峨野一帯に設けられ、建物は天皇一代ごとに造り替えた。南北朝の戦乱で斎王制度は廃絶したが、神社として後世に残された野宮神社には黒木(皮のついた丸木)の鳥居と小柴垣が再現されている。
斎宮となった六条御息所の娘(後の秋好中宮)が一年間、野宮で潔斎生活を送り、いよいよ伊勢に下向するという直前に、光源氏が六条御息所を野宮に訪ねる場面が『源氏物語』「賢木」にみえる。そこは小柴垣を外囲いにし、仮普請の板屋が建ち並んで、黒木の鳥居とある。
「はるけき野辺を分け入り給より、いとものあはれなり。秋の花みなおとろへつゝ、浅茅(あさじ)が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹あはせて、ろのこととも聞きわかれぬほどに、ものの音ども絶えだえ聞こえたる、いと艶なり。(中略)
ものはかなげなる小柴垣を大垣にて、板屋ども、あたりあたりいとかりそめなり。黒木の鳥居ども、さすがに神々しう見わたされて、」(源氏物語・「賢木」巻より抜粋) |
|