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平安時代末期の学者で、明経(みょうぎょう)博士の清原頼業(きよはらよりなり)公(1122〜89)を祀る。
社伝によれば、後嵯峨天皇が、牛車に乗ってこの社前を通ろうとした時、突然牛が動かなくなり、車の轅(ながえ)が折れたことから、車折神社(くるまざき)と呼ばれるようになったといわれている。昔から学問の向上、商売繁昌、売掛金回収に御利益があるといわれ、社務所で授与された小石に祈願を込め、家に持ち帰り、願いが成就したらお礼の石を一個添えて神前に返納するという慣しがある。
境内には、芸能道の祖神といわれる天宇受売命(あまのうずめのみこと)を祀った芸能神社や、当社の宮司でもあった富岡鉄斎の筆塚などがある。
毎年5月の第3日曜日に行われる三船祭は、新緑の嵐山大堰川に、御座船、龍頭船、鷁首(げきす)船をはじめ、扇流し船などの多くの芸能奉納の供奉の船を浮かべて、平安時代の優雅な風情を再現するものである。 |
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