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祭神天照皇大神文子天満宮合祀。当社は近衛天皇(約830年前)が行幸せられた摂政関白藤原忠通の邸(四條内裏又は東洞院内裏ともいう)内にあった鎮守社で、後に天台宗護国山立願寺によって管理され、明治の神仏分離によって神社だけが残った由緒ある社である。
社頭に榎の大木があったので榎神明ともいわれた。特に当社に社宝として2本の「やじり」が伝えられている。
近衛帝の時、夜毎御所に「鵺(ぬえ)」という怪獣が出没し宸襟を悩ました。源三位頼政は勅命により当社に参籠し見事この怪獣を退治し奉納したのがこの「やじり」である。当社が厄除け日除けの神といわれる所与である。
また明治30年頃から豊国小学校内に奉祀られていた文子天満宮の神霊を戦後当社に合祀し、その縁によって毎年9月15日(例祭の前日)に子供神輿が区内を巡幸する例となった。 |
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