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錦市場の東のつきあたり、新京極通との交差点にある神社で、菅原道真を祀る。別名「錦の天神さん」として親しまれている。説明によれば、平安中期に創建され洛中に在ったが、桃山時代豊臣秀吉の都市計画にかかり、天正年間現在地に移り、以来400年間、街の中心、人々の心の寄り所となっている。繁華街唯一の鎮守社。
拝殿には古い縣額・唐獅子・随身もある。境内には京の名水「錦の水」が地中よりこんこんと湧き、街の人々の憩いの場所・オアシスにもなっている。門前寺町京極まで社有地参道があり、特に寺町の一の鳥居は、両端が民家に突っ込んで有名である。
此の神社は、新京極・錦市場・寺町京極の接点に在り、ここは古都京都のど真ん中の中心地。最も近代的経済的な商店街と最も古い伝統精神文化の神社仏閣が調和共存し、永久に栄える土地柄は、最近「近代日本の縮図」と世人の注目する所となってきた。
<錦の水>
此の井戸は地下30数mより湧出。昼夜の別なくこんこんと湧く。水温年中17.8度を保つ。検査の結果、無味・無臭・無菌。飲用に適する良質の水。持ち帰り自由。 |
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<錦天満宮>(錦の天神さん)
錦天満宮は11世紀初頭、菅原道真(菅公)の父親、菅原是善の旧宅「菅原院」に創建された。菅公の死後、嵯峨天皇の皇子源融の旧邸、六条河原院に場所を移し歓善寺の鎮守社として天満大自在天神を祀ったのが始まりといわれている。
そこから約300年の時を経て、後伏見天皇より「天満宮」の神号の直筆の文書を授与され、その際、河原院跡を京都八幡善導寺に寄進、塩竃宮を鎮守とする「歓善光寺」と改名された。後に、当天満宮が菅公聖跡二十五拝の第二番に位置づけられたのはそのためです。そして、「歓善光寺」の創建から274年後、桃山時代天正年間に行われた豊臣秀吉の都市計画によって「金蓮寺」の敷地に移転。以後400年余「錦天満宮」として同地に鎮座している。そして、明治5年には神仏分離令によって「錦天満宮」が独立、現在に至っている。 |
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