|
|
|
|
|
|
越後の名は町名に拠る。その町名は坊目誌に、「室町時代に杉若越後守という武人住めり、故に町名とす」に基づく。
その後、この当地一帯は、浅井長政など諸大名の所有を経て、幕末には丹波篠山藩・青山家の京屋敷となった。参道を通称青山路地と呼ぶのは之に因む。
その屋敷の鎮守社が連綿と引き継がれ、今日の越後神社となった。当神社は、弁財天、福鷹龍神及び福徳稲荷大明神を祀る。その脇には、おまつお婆さんに由来するおまつ地蔵尊が安置されている。
また、当地は、廣瀬備治翁遺跡としても知られている。明治10年代、手描友禅の名工であった廣瀬治助(備治)は、型紙と色糊を組み合わせ、試行錯誤の末、「写し友禅」を創案した。
明治21年(1888)頃、当地に染工場を建て境内の泉水を使い、大量生産を行い、今日の友禅染め普及の基礎を築いた。それ故、染色に携わる人々からは友禅神社とも呼ばれている。当町では、備治翁の偉業を称え、顕彰祭を毎年4月に、神社の例大祭と共に行っている。
昔日は三百余坪あった鎮守社の池も大半が埋め立てられ、変容を遂げたが、町民からは親しみを込めて「弁天さん」と呼ばれ、町内外を問わず畏敬崇拝されている。 |
|