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<賀茂別雷神社>(かもわけいかづちじんじゃ)
上古この付近一帯に繁栄した賀茂氏が創祀した京都最古の神社である。祭神として賀茂別雷神を祀る。賀茂伝説によれば賀茂氏の粗神建角身命の女玉依姫命(たまよりひめ)(ともに下鴨神社に奉祀)が瀬見の小川(賀茂川)を流れ下る丹塗の矢に感じて、別雷神(わけいかづちのかみ・大自然を支配する神)が出現したと伝える。
平安奠都(てんと)(794)とともに賀茂別雷神に対する信仰は高まり、特に五穀豊穣の神の雷神を祭ることから農民の信仰を集め、全国雷神の中心となった。謡曲「賀茂」はこの縁起を叙べて、五穀豊穣国守護の神徳を讃えた曲である。皇室でも嵯峨天皇の弘仁元年(810)以来、内親王が斎王として奉仕される慣わしとなり、山城国一ノ宮とよばれて伊勢神宮と並ぶ崇敬を捧げられた。
社殿は21年毎に造営される慣例であったが中世以来中絶した。本殿(国宝)は流造神殿の典型で権殿(国宝)とともに三間社流造、桧皮葺で文久3年(1863)の建築である。この外社域にある中門、幣殿など40棟の建物の多くは寛永5年(1628)の造替で重要文化財に指定されている。そして、古都京都の文化財として世界遺産に指定されている。
毎年5月15日の賀茂祭は三大勅祭の第一で俗に葵祭の名で親しまれており、当日は平安朝の古式ゆかしい行列も都大路に繰りひろげられる。さらに5月5日の競馬会(くらべうまく)、5月12日御阿礼神事など古式の面影を豊かに伝える行事が四季を通じて行われる。
<立砂>
盛砂(もりずな)ともいう。「たつ」とは神様の出現に由来した言葉である。神代の昔、祭神が最初に降臨になったのは社後2qにある円錐形の美しい形をした神山(こうやま)である。立砂はこの神山にちなんだもので一種の神籬(ひもろぎ・神様が降りられる憑代(よりしろ))である。鬼門・裏鬼門に砂をまき清めるのはこの立砂の信仰が起源である。つまり清めの砂の始まりである。 |
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<勝負の楓>
毎年5月5日、上賀茂神社で「競馬会神事」(くらべうま)が行われる。この競馬(くらべうま)は葵祭と関連して、平安時代の末期から続いている伝統行事である。馬が走るコースは埒(らち)と呼ばれる木の枝で作られた柵で区切られている。競馬は赤組と黒組の2頭の馬で競い、コースの途中に「馬出しの桜」(スタート地点)とか、「見返りの桐」(独特の所作で後ろを振り返る)とか、「勝負の楓」(ゴール)といった目印になる木が植えられている。「勝負の楓」には「もうよいもみじ・ここで勝ち負けが決まる)と記されている。
この競馬は、「徒然草」(吉田兼好)の中にあるそうです。ということは、吉田兼好はこの神事を見ていたということになります。歴史の重みを感じる楓です。 |
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