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この地は、菅原道真の邸宅である菅原院があった場所とされており、道真生誕の地とも伝えられている。
<菅原院天満宮神社の由緒>
菅原院天満宮神社は、従四位、下治部卿菅原古人朝臣。次は従三位、清公卿。次は参議是善卿の三世、子々相傳へて棲み給ひし邸宅の跡にて。やがて是善卿の御子道眞公の誕生し給ひし霊地なり。
古人朝臣は桓武天皇に仕へて侍讀となり。C公卿は嵯峨。淳和、仁明の三帝に歴仕し是善卿は文徳、C和の二帝に奉仕して倶に侍讀の榮職におはせしかば此邸宅をも受継ぎ住み給ひしより世には菅原院と呼びたりとぞ。拾芥抄を案ずるに菅原院は勘解由小路(下立賣通)烏丸の西一町(室町迄)菅贈太政大臣の御所、或は云く参議是善卿の家なりと。当時歡喜光寺と号し、北野祭の日神氏此所に来りて枇杷を取りて神に供すと。又京城の古圖には烏丸、西室町、下立賣、南椹木町の間を菅原院と記せり。
蓋し往古は境域の広大なりしを知る可きなり。又枕草子国宝北野縁起(藤原信実朝臣筆)菅氏録に據れば、菅原院は是善卿の旧邸地にして菅公は此の處に於いて御誕生あらせられし爾来菅公亦襲ひて邸宅とし給ひついで菅家のために、此地に歡喜光寺を創建せられしが後故ありて六條道場に移せし由見えたり。然ればそのかみ此地に社殿を存し菅原道眞公を本座とし相殿に御父是善卿を奉祀して古より断ゆること無く今に至れり實に是れ菅原公御発祥の靈地にして聖蹟廿五拝の第一にして今も尚産湯の井及び天満宮御遺愛の石燈籠一基を存せり。(神社の由緒書より) |
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