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<島原住吉神社>
島原住吉神社は、もと島原中堂寺町の住吉屋太兵衛の自宅で祀っていた住吉大明神が、霊験あらたかにして良縁の御利益があり、参詣者夥しきため、享保17年(1732)祭神を島原の西北に遷座し建立されたものである。その規模は、南は道筋(島原中央の東西道)から、北は島原の北端にまで及び、広大な境内地を有した。爾来島原の鎮守の神として崇められ、例祭とともに、太夫・芸妓等の仮装行列である「練りもの」が盛大に行われていた。
ところが、明治維新後の廃仏毀釈により、神社株を持たない当社は廃社となり、祭神を歌舞練場内に祀ることとなった。
しかしながら、地元の崇敬心は篤く、明治36年(1903)には、船井郡本梅村から無格稲荷社の社株を譲り受け再興した。ただし、現在の狭い境内地となリ、正式社名も住吉神社は認められず、稲荷神社とされた。
平成11年(1999)には、社殿、拝殿を改修のうえ、社務所も新築し、境内の整備がなされた。同13年には、懸案の社名を島原住吉神社と改称し、旧に復することとなった。 |
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<幸天満宮>
住吉神社の境内社である幸天満宮は、当初揚屋町の会所に天神の祠があり、それが、享保19年(734)当所に遷座したものである。延享5年(1748)より、筑紫太宰府天満宮にならい、鷽替の神事が営まれるようになった。それは、色紙、短冊などを持ち集まり、「鷽を替えん」と言いつつ取り交わす甚だ興あるもので、諸客の見物で賑わったが、明治以降は完全に廃れてしまった。 |
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