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<由緒>
三条実萬は、当時「今天神」と人々から尊称され、才識兼備の方であった。光格・仁孝・光明三天皇に仕え、皇室の中興に尽くし、王政復古の大義を唱えて、明治維新の原動力ともなられ、安政の大獄の折、幕府より圧迫を受けて一乗寺村に幽居の後、58歳で亡くなった。
明治2年その功績を愛で、天皇より忠成公の謚(おくりな)を賜り、明治18年(1885)10月旧邸の地名にちなみ、梨木神社として創祀せられるに至った。
三条実美は、父実萬の遺志を継ぎ、朝威回復・攘夷決行の急進派少壮公卿の中心人物として活躍。しかし、文久3年8月18日の政変で頓挫し、同志の公卿とともに長州西国に赴かれ、艱難辛苦を経て維新の大業を達成せられた。そして、明治新政府では、右大臣・太政大臣・内大臣等を歴任された明治の元勲である。
大正4年(1915)、大正天皇即位御大典の折合祀せられた。(説明文) |
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<萩の名所>
境内一円数百株の萩が繁殖。9月中可憐な花が咲き乱れ、参詣者の詩情を誘う。
ハギは、東アジアから北アメリカまでの広い地域に自生している植物で、全部で四十種ほどの野生種があり、日本には十数種のハギが自生している。
日本の秋を代表する「秋の七草」の一つとされ、「万葉集」で詠まれた植物の中では百四十二首と最も多いことで知られている。古くから鑑賞以外にもお茶や薬草、屋根材、家畜の餌、箒などに用いられ、人々の生活に深く根ざした植物でもあった。
「萩」はくさかんむりに秋と書いて表す日本で作られた国字です。(中国で萩と書く植物は、キク科のヤマハハコなどのことを指す)「万葉集」の原文表記では、「芽子」「波義」と用字されており、「萩」という字の初出は「和名類聚抄」とされ、平安時代中期頃といわれている。
ハギの語源は、毎年新しい芽を出すことから「生芽」とする説や、葉が小さい歯牙に似ていることから、「歯牙」、秋に葉が黄色くなることから「葉黄」など諸説ある。
当境内にはヤマハギ、ミヤギノハギ、マルバハギ、ネコハギ、シロハギなど約7種の萩が五百株以上植えられている。明治時代までは公家屋敷が建ち並んでいたことから、古今を通じて萩が愛でられ、和歌が詠まれてきた場所として偲ばれる。 |
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<染井の水>
京都三名水(醒ヶ井、県井、染井)の内、現存する唯一の名水。昔この地は「染殿」とも称され、宮中御用の染所としてこの井戸が用いられた。
名水を求めて、人々が次々と訪れていた。水の入れ物を持ち合わせてなかったので、2、3杯いただく。暑い夏の日、冷たく柔らかい清水が喉を潤す。生き返った気分であった。 |