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九州の太宰府へ流刑となった菅原道真が亡くなった後、京都は落雷、地震が続いた。これは道真のたたりだと思い、霊を慰めようと創建されたものである。京都の人々はいつしか「天神さん」の愛称で親しむようになり、現在は、受験生の合格祈願で有名になっている。
社殿は豊臣秀頼の寄進で拝殿とともに国宝になっており、回廊、北門、東門など重要文化財の建造物も多い。八棟造りといわれる屋根は日光東照宮にも継承されている。表参道の松林は、秀吉が北野大茶会を催したところ、境内西の御土居は、秀吉が京の区画整理のために築いた土堤だそうで歴史的なたたずまいを見ることができる。境内にある牛の像は、菅原道真が亡くなられたのが丑の年、丑の日、丑の刻というところから奉納されたもの。この牛の頭をなでると頭が良くなると信じられている。いつも人の手で磨かれているのでピカピカに光っている。
2月25日には、九州太宰府で生涯を終えた道真の命日にちなみ、梅花祭が催され野点の茶会などがある。10月14日には瑞饋祭(ずいきまつり)が催されるほか、毎月25日の道真公の命日には縁日(骨董市)がたち、道具、衣類、骨董、植木、食べものなどの市が並び大勢の人でにぎわう。 |
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菅原道真公を祀り、一般に「北野の天神さん」と呼ばれ、学問の神として崇められている。天暦元年(947)の創建と伝え、天徳3年(959)藤原師輔(もろすけ)によって社殿が整備され、天正15年(1587)には、豊臣秀吉が、付近一帯の松原で北野大茶会を催した。
本殿(国宝)は、豊臣秀頼が、慶長12年(1607)に造営したもので、権現造の代表的遺構である。また、中門は三光門と呼ばれ、後西天皇筆の勅額「天満宮」を掲げている。宝物としては、紙本著色北野天神縁起絵巻(国宝)などの貴重な文化財を蔵している。
東風(こち)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな(大鏡) |
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