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<豊国神社>
豊臣秀吉を祀る神社で、一般に「ホウコクさん」の名で人々に親しまれている。
慶長3年(1598)に63歳で亡くなった秀吉の遺体は、遺命により東山の阿弥陀ヶ峯の中腹に葬られ、その麓(現在の豊国廟太閤坦)には、広壮豪華な廟社が造営された。後陽成天皇より正一位の神階と豊国大明神の神号を賜り、慶長9年(1604)8月の秀吉の七回忌には特に盛大な臨時祭礼が行われた。そのときの様子は豊国臨時祭礼図屏風(重要文化財)に詳しく描かれている。
豊臣氏の滅亡後、その廟社は徳川幕府により廃祀されたが、明治13年(1880)、旧方広寺大仏殿跡にあたる当地に社殿が再建され、別格官幣社として復興された。また、明治31年(1898)には、荒廃していた廟墓も阿弥陀ヶ峯の頂上に再建された。
正面の唐門(国宝)は伏見城の遺構と伝え、二条城から南禅寺の金地院を経て、ここに移築されたもので、西本願寺、大徳寺の唐門とともに国宝三唐門の一つとされている。また、その両脇の石灯籠は、秀吉恩顧の大名が寄進したものである。 |
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秀吉の廟社は、江戸時代に荒れ果て朽ちていたが、明治天皇は秀吉は幕府を開かなかった尊皇の功臣であるとして再興させた。鳥居の正面には後陽成天皇から贈られた豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が掲げられている。 |
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