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<銭洗弁財天・宇賀福神社>
巳の年の文治元年(1185)、巳の月、巳の日、源頼朝に宇賀福神の夢のお告げがあった。「西北の谷に湧き出す霊水で神仏を供養せよ。天下は泰平になるであろう」
お告げの通りにこの地に湧き水があったので、さっそく宇賀福神を祀り、その水で神仏の供養を行ったことが、創建の由来だといわれている。
この湧き水でお金を洗って使うと、何倍にもなって返ってくると信じられている。鎌倉五名水の一つです。
<鎌倉銭洗弁財天宇賀福福神社 由緒>
鎌倉駅の西方、佐助ヶ谷の奥にある銭洗弁財天は、その霊顕あらたかなることを以て、広く世に知られている。
鎌倉幕府の始祖源頼朝(1147〜1199)は、平家を討伐して治承7年(1183)幕府を樹立したが、永い戦乱によって国民の生活は苦しくなっていた。これを憂いた頼朝は、人々の苦しみを取り除こうとして、神仏の加護を願って、日夜お祈りを捧げた。そのうち文治元年(1185)の巳の月の巳の日に不思議なことが起こった。
一人の老人が頼朝の夢枕に現れて。「ここから西北の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出してる。そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っている。この水こそは真の神の霊水なのです。この水を絶えず使って、神仏をまつれば、人々は自然に信仰心を起こし、悪鬼や邪鬼も退散し、国内はすぐに平穏に治まる。私こそは隠里の主である宇賀神です。」というとその姿を消した。目を覚ました頼朝は、心から宇賀神を敬い、夢のお告げの通りに西北の谷に泉を見つた。そこに岩窟を掘らせ、宇賀神をまつ、その水を使って神仏の供養を続けると国中は静かになり、人々は富み栄えるようになり、これがここの起こりだといわれている。
その後、正嘉元年(1257)巳の年の仲秋に、時の執権北条時頼、頼朝の信心を受け継いで、隠里の福神を信仰した。その時、時頼は「辛巳(かのとみ)」「なる」「かねの日」が全ての人々に福徳が授けられる日だと調べ、
この日に人々が参詣することをすすめたということです。
また、この時弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に心身を清めて行いを慎めば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい率先して持っている金銭を洗って一家繁栄、子孫長久を祈った。以来七百余年銭洗井は鎌倉五名水の一つとして天下に聞こえ、四季の参拝者は絶える事は在りません。(説明文) |
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