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針綱神社は、延喜式神明帳所載の式内社で本国貞治本に従一位針綱明神又同元亀本には正一位針綱明神とあり、太古よりこの犬山の峯に鎮座せされ東海鎮護、水産拓殖、五穀
豊饒、厄除、安産、長命の神として古来より神威顕著にして士農工商の崇敬殊に厚く白山大明神と称えられ濃尾の総鎮守であった。
中古、織田信長の叔父織田信康、市内木の下城を社地に移築せんと御奈良天皇の宣旨を蒙り、天文6年(1537)8月28日市内白山平に遷座し奉った。その後69年を経た慶長11年4月8日更に市内名栗町に遷座し奉り、城主成瀬氏代々の祈願所であった。
明治維新後の明治15年(1882)9月28日名栗町の座地より天文6年迄座地であった現在地に御遷座になり、戦前は県社とし戦後は宗教法人針綱神社(尾張五社の一つ)として近隣の崇敬を集めている。
国指定無形民俗文化財の犬山祭は針綱神社の祭礼です。 |
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<針綱様と安産の謂れ>
針綱地神社は天文6年(1537)8月以前にこの犬山城の天守閣の付近に鎮座されていた。織田信長の叔父に当たる織田信康が犬山の木ノ下城の城主で居られたころ、奥方様がご懐妊されたときに織田信康自信の手彫による狛犬一対(2匹)を奉納され、安産の祈願をなされたのが始まりと謂われている。
近年では戌の日に安産祈願をされると無事出産され、元気の良いお子様に育つと申されている。毎年行われる犬山祭の御輿の渡御に狛犬もお供され、市内を巡幸される。 |
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