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<山住神社>
山住神社は静岡県磐田郡水窪町山住230(現静岡県浜松市天竜区水窪町)に鎮座せられ、御祭神は日本総鎮守大山祇命にして、和銅2年元明天皇の御代伊予国越知郡大山祇神社より遷祭し山住大権現と号す。
56代清和天皇の御代貞観2年1月27日遠江国正五位下苅原河内守従四位下を授けられ、同16年2月23日遠江国従四位上を授けられ、勅使を2回下向せられた延喜年中式内社に列せらる。
永正10年6月7日103代後柏原天皇の御代奥山郷高根城主大膳守武運長久の祈願にて御造営(高根城跡は水窪町久頭合に有り)。越えて105代正親町天皇の御代元亀3年徳川家康公浜松御在城の時(31歳)三方原の戦い利あらず当神社へ逃げる。敵は家康公を追って当神社に迫るや一天俄にかき曇り辺りは薄暗く日暮れの様相と化し、風腥く霊山全域にてウオーウオー地響きのするうなり声起こり、敵はこの奇声に胆を潰し退散、これを以て家康公安泰に難を逃れる。翌天正元年正月17日(32歳)お礼御参社あり、天正4年宝剣2振、慶長19年宝剣1振奉納せらる。
慶安2年8月17日徳川幕府累世御朱印を賜る。114代桜町天皇の御代享保18年3月16日雷火の為本殿幣殿を始め宝蔵に至るまで焼失したため御普請御免のお許しを請んとし、大宮司山住大膳亮禰宜高木三郎太夫を従え、時の将軍吉宗公に直参の際将軍の御意を以て夏6月江戸において臨時祭を斎行すると一天かき曇り寒気甚だしく降雹あり。御感浅からず直ちにご普請差し許されたりと明治5年山住神社と改め、県社に列せらる大神は専ら邪気退散魚漁豊足家内安全商売繁盛お犬様信仰の御霊験あらたかで往時より遠近の信者登山参拝するもの甚だ多い。
海抜1100メートルに鎮座、周囲2丈余の御神木(神社庁指定)老杉は天然記念物として県からも昭和46年8月3日指定されている。(全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年)
<山住神社のスギ2本>(静岡県指定天然記念物) |
樹令 約1300年 |
A |
B |
目通り |
7.01m |
9.2m |
根廻り |
10.50m |
10.30m |
樹高 |
40.00m |
41.00m |
枝張り(東西) |
18.00m |
22.10m |
枝張り(南北) |
17.00m |
13.80m |
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山住杉は和銅2年(709)この地に神社鎮座の頃、御神木として植栽されたものと推定され、樹令1300年有余(昭和34年(1959)伊勢湾台風による倒木の年輪によって確認できる)が数えられ、この樹令に比して旺盛な樹勢は稀らしいとされている。 |
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<山住杉の由来>
この付近一帯の杉は、元禄9年(1696)2月からおよそ300年前山住家23代大膳亮茂辰公が当時、幕府御用材の乱伐を憂え、遠く伊勢より3万本の杉苗を購入し、この地方における造林の第一歩を印した。以来、大膳亮は没年の延享元年(1744)まで、48年間実に36万本に及ぶ杉檜の拡大造林を進め、明治・大正期、東京市場での「山住杉」の名声を残すと同時に、今日における天龍林業の振興の基礎を築いた。これから由緒ある杉は、山住神社境内外に幾星霜を経た歴史の跡をしのぶことができる。 |