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<二宮神社御由緒>
当二宮神社は多道間守と宗良親王との御二柱 を御祭神としております。往古は三宅神社と 称し奉り、天日槍尊の四世で、井伊郷の荘司 三宅氏の始祖 多道間守の尊霊を奉祀した
延喜式の式内社に列せられた霊社であります。
第十一代垂仁天皇の勅諚に応え常世の国から 我国へ橘を将来したのがこの祖神多道間守で 当地発祥の井伊家は式内社渭伊神社を象徴 する井桁と、当三宅神社の橘とを家紋と
致しました。
元中二年八月十日(西暦一三八五年)後醍醐天皇 の皇子宗良親王が井伊城に薨ぜられるや 九月南帝の勅使中院為久郷、中院少将定平 朝臣下向、御連枝の方廣寺開山、圓明大師を
御導師として葬送の御儀を執行い、当三宅神社 に尊霊を合祀し奉り、慈来二柱の神霊を祭祀 するため二宮神社と改称し奉りました。(境内案内板) |
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