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五社神社と諏訪神社は、元は別々の神社としてあった。しかし、太平洋戦争の浜松空襲で両社とも焼失する。再建は、両社合祀として、五社神社の跡地に、五社神社・諏訪神社として建てられた。
<五社神社>
国主久野越中守曳馬城(浜松城)内に奉斎す。徳川家康公浜松城に入り天正七年四月七日秀忠公場内にて誕生、産土神として崇敬し、天正八年常寒山(現在地)に社殿建立遷座す。寛永十一年家光公御上洛の節社参奉幣三百石の朱印を奉る。大正三年国宝建造物に指定せられる。
<諏訪神社>
宴楽十年坂上田村麿東征の砌、敷智郡上中島村に奉斎、弘治二年神託により浜松に遷すと云う。徳川家康公崇敬し、天正七年社殿を造営す。元和元年秀忠公杉山に社地を遷し、更に寛永十八年家光公現在地に社殿造営遷座す。朱印三百石なり。昭和十三年国宝建造物に指定せられる。昭和二十年戦災に依り五社神社と共に悉皆焼失せり。
<五社神社・諏訪神社>
昭和三十五年両社合祀、新たに五社神社諏訪神社として発足す。昭和四十七年神社本庁別表神社に列恪、現社殿は五ヶ年の歳月を費し昭和五十七年竣工す。(御由緒) |
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<光海霊神の碑>(うなてりのみたものひ)
賀茂真淵大人が幼少の頃、師と仰いだ五社神社神主森?昌大人の功績を記した顕彰碑。昭和20年(1945)6月18日の浜松空襲の戦火により上部損壊する。
<諏訪神社跡>
諏訪神社は、浜松市教育文化会館(はまホール)の場所にあったが、太平洋戦争のおり焼失する。その祈念碑が、浜松市教育文化会館(はまホール)の片隅に立っている。 |
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