|
|
|
|
|
|
社伝によると、欽明天皇13年(552)に、「欽明天皇の御宇、神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ 一歳二度の祭祀この時に始まる」とある。
これは、欽明天皇の勅命で、島の洞窟(岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社の始まりであることが記されている。欽明天皇は、聖徳太子よりも少し前の時代の天皇で、
この頃、日本では仏教が公伝され、日本固有の神道と外来の仏教が共に大事にされていた。 |
|
|
|
江ノ島島内三ヵ所のお宮(奥津宮、中津宮、辺津宮)を総称して江島神社という。
江島神社は、福岡県の宗像神社と同じく、多紀理比賣命、市寸島比賣命、田寸津比賣命の三柱の女神を祀っている。 |
|
|
|
|
|
<瑞心門唐獅子> (ずいしんもんからじし)
中央アジアからもたらされたライオンが古代中国で幻想動物として描かれ、わが国には密教曼荼羅の中の唐獅子か9世紀に渡来し定着していった。以後仏法のみならず邪悪なものを退け国家鎮護を祈念する形代として飾られるようになった。
この瑞心門唐獅子は御祭神の守護とあわせて参拝の皆様に厄災なきことを祈願して飾った。 平成7年4月初巳日 江島神社 奉納 東京 中村明
<宋国伝来の古碑>
江島縁起によれば、元久元年(1204)に宋に渡った源実朝の使節良真が、慶仁禅師より、江の島に因んで授けられたと伝えられ、碑面の四辺を細線で刻画し、上方に左右から双龍形を陽刻し、大日本国江島霊迹建寺之記と篆書されているが、碑名は磨滅して読むことができない。 |
|
|
|
|
|
<龍神と銭洗い>
往昔より龍は雲、雨、嵐などをひき起こす威大なものの象徴とされ、我国では龍神の信仰が山と湖、海や河川、沼を背景に発生し、水の神を尊崇されてきた。
また、インド神話に河川(水)の神と崇められている弁才天は、白龍(白蛇)との関係が深く、頭にかぶる天冠にも蛇を頂いている。
只今も巳の年、巳の日にはご利益を願うたくさんの参拝者が当神社を訪れる。
当江の島弁才天は日本三大弁才天(厳島・竹生島)の一つで、近年まで岩屋洞窟に祀られ、その御霊水で金銭を洗うと金運向上・財宝福徳の御利益があると伝えられてきた。現在はここの白龍池にお移し致した。
白龍王の授ける清浄の水で我身我心の不浄の念を洗い清めると神の御守護をいただき福徳がもたらせると言われている。 |
|
|
|
|
|
<中津宮>(上之宮)御祭神……市寸島比売命
文徳天皇仁寿3年(853年)慈覚大師が創建。 現在の社殿は元禄2年(1689)の御造営で平成8年の改修により格天井には花鳥画が施され彫刻等が復元された。境内には歌舞伎界より奉納された石灯籠等がある |
|
|
|
|
|
<辺津宮>(下之宮)御祭神……田寸津比売命
土御門天皇建永元年(1206)源実朝が創建。弁天堂には日本三文弁財天の妙音・八臂弁財天御尊像を始め、十五童子像・御宇多天皇の勅額・弘法大師の護摩修法による弁財天像他が奉安されている。宋国伝来の古碑・福石・白龍銭洗池・御神木の結びの樹等があり、八坂神社・秋葉稲荷社が境内社として鎮座する。
<奥津宮>(御旅所・本宮)御祭神……多紀理比売命
天保13年(1824)再建。源頼朝奉納石鳥居・酒井抱一画の八方睨みの亀・八十貫の力石・鎌倉四名石の一つ亀甲石・御神木・山田流筝曲開祖山田検校像等がある。 |
|
|
|
|
|
<弁財天>
弁財天は日本三大弁財天の一つで、七福神の弁財天として、また、芸能を司る妙音天女としても崇敬され、江戸時代は庶民、歌舞伎役者、武士と幅広い階層から信仰を集め、大変賑わった。
<謡曲「江島」と弁財天>
謡曲「江島」は、弁財天影向の縁起を説いた曲である。
欽明天皇の13年、相模国江野の海上に島が湧き出て、福徳円満の願いをかなえる弁財天が影向せられたというので勅使が下向する。
折から現われた老漁夫は勅使の尋ねに応じて詳しく島の成立を語り、その功徳を讃歎した後、自分はこの島の鎮守である弁財天の夫神の五頭龍王、即ち龍口明神であるといって消え失せる。
やがて弁財天が15童子を伴って出現、勅使に如意宝珠を捧げると、五頭龍王も現われ出で、国土の守護を誓いつつ上天したのであった。
弁財天は白蛇を飾る宝冠の戴き、一蓮葉に乗って、右手に剣、左手に宝珠を捧げて、延命長寿、怨敵退散、財宝満足の利益を施すという。(謡曲史跡保存会) |