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<国宝 都久夫須麻神社の本殿>
国宝 都久夫須麻(つくぶすま)神社の本殿は、桁行5間、梁間4間の入母屋造の檜皮葺、前後に軒唐破風をつけ、周囲に庇をめぐらした建築物である。
慶長7年(1602)の豊臣秀頼より復興の際に、元の本殿の外廻りに京都から移した建物を入れ込んだ特殊な構造です。
両開き桟唐戸、壁、内法長押(なげし)上には、菊や牡丹等の極彩色の彫刻が施されでいる。内部の柱・長押等は梨子地で蒔絵が施されている。
折上格天井は菊・松・梅・桜・桃・楓等の金地著色面で、襖の草花図とともに桃山時代後期の日本画壇の中心であった狩野光信の筆と伝えられている。
<宮崎鳥居>
3段目の画像は、鳥居は宮崎鳥居。願掛けの「かわらけ」を投げる。見事に鳥居を通ると願いが叶うと言われている。「かわらけ」は、平安時代から江戸時代にかけて作られた素焼きの土器のことで、これに名前と願い事を書いて宮崎鳥居に向けて投げる。
江戸時代から庶民の娯楽として、祭礼や祝事の際に厄除けや祈願を込めて行われてきた。 |
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竹生島は周囲2q、標高197mの無人島(住んでいる人はいない・寺や神社、売店などの人は全員通い)だが、国の名勝、史跡、日本遺産になっている。
上左画像は、琵琶湖八景の一つ「深緑竹生島の沈影」の碑。緑が島の周囲に写る美しい姿を詠んでいる。
上右画像は、「モチの木」。慶長7年(1602)、豊臣秀頼の命を受け、普請奉行の片桐且元が観音堂、唐門、渡廊下を移築したときに、記念に植えたもの。片桐且元は豊臣秀頼の後見役だった。 |
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