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当社の創建は明らかではないが、延喜式巻十の延喜神明帳の式内社とされているので、平安時代(10世紀)には社があったことがわkる。更に当境内地からは凝灰岩の基壇や礎石、瓦が出土することから、8世紀初頭の岡寺(龍蓋寺・りゅうがいじ)創建伽藍があったと推測されており、寺の鎮守神として、境内地に祀られていた可能性がある。この鎮守神を祀ったのが、後に治田神社になったとも考えられる。
元々は治田氏の祖神が奉祀されていた。文安年間(1444〜1448)に一時大国主命の和魂である大物主命を奉祀されたことが古書にある。更に社名を八幡宮と称して応神天皇を奉祀し今日に至っている。 |
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<史跡 岡寺跡>
岡寺(龍蓋寺)は、義淵僧正によって建立されたと伝えられる寺院であるが、創建当初の伽藍は仁王門の西方(上の画像)、ここ治田神社境内地にあったと考えられている。境内地には礎石がいくつか残っており、拝殿の地覆石には凝灰岩の切石が使われている。また、古瓦の散布もみられることから、このあたりに古代の建物があったことは間違いない。昭和57年(1982)には橿原考古学研究所によって発掘調査が行われており、基壇建物の北端を画したと思われる凝灰岩の切石が4.5mほど並び、その東端に階段があったらしいこともわかっている。その他の建物や伽藍配置については不明であるが、岡寺所蔵の寛文年間(1661〜1672)の絵図には、治田神社付近に金堂や講堂・塔の跡地が描かれている。発掘調査で見つかった建物は、南向きに建つ7間×4間の金堂と推定される。 |
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