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源平壇ノ浦の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする神宮で、境内には安徳天皇阿弥陀寺御陵、平家一門の七盛塚がある。江戸時代までは安徳天皇御影堂といわれ、仏式により祀られていた。
その他に、小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」の木像が祀られている芳一堂、貴重な資料のある宝物殿等がある。 |
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<七盛塚>
平家一門の供養塔。前列右から有盛(ありもり)、清経(きよつね)、資盛(すけもり)、教経(のりつね)、経盛(つねもり)、知盛(とももり)、教盛(のりもり)。後列は徳門、忠光、景継、景俊、盛継、忠房、二位となっており、「盛」の付くのは6つだが、「七盛塚」と呼ばれている。 |
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<耳なし芳一の由来>
その昔 この阿弥陀寺 (現・赤間神宮) に芳一といへる琵琶法師あり
夜毎に平家の亡霊来り いづくともなく芳一を誘い出けるを ある夜番僧これを見あと追いければ やがて行く程に平家一門の墓前に端座し一心不乱に壇ノ浦の秘曲を弾奏す
あたりはと見れば数知れぬ鬼火の飛び往うあり その状芳一はこの世の人とも思えぬ凄惨な形相なり さすがの番僧唖然として和尚に告ぐれば一山たちまち驚き こは平家の怨霊芳一を誘いて八裂きにせんとするぞ とて自から芳一の顔手足に般若心経を書つけけるほどに 不思議やその夜半 亡霊の亦来りて芳一の名を呼べども答えず見れども姿なし 暗夜に見えたるは只両耳のみ 遂に取り去って何処ともなく消え失せにけるとぞ
是より人呼びて耳なし芳一とは謂うなり
<芳一像>
この芳一像は日本木彫界の泰斗山崎朝雲翁第一の門下生である押田政夫氏(防府市出身) 畢生の作で昭和32年4月堂内に収め除幕奉納されたものです。 |