|
|
|
|
|
|
|
|
龍興山祐泉寺は臨済宗妙心守派の寺院で、寺伝によれば文明6年(1472)、土岐源氏・土岐頼政の次男、東陽英朝禅師(大道真源)が湧泉庵という庵を結んだことに始まるといわれている。
永正年間(1504〜1521)には八百津の大仙寺の末寺となり、祐川庵といった。寛文年間(1661〜1673)には、関の梅龍寺末寺の祐泉寺となり、明治になって妙心寺本山の直末となった。
また、火難水難から守るとの言い伝えが残る瀧場観音があり、美濃西国27番目の札所となっている。
境内には坪内逍遙や北原白秋といった文人が詠んだ歌碑、槍ヶ岳を開山した播隆上人、「日本ライン」の命名者、志賀重昂の墓碑などが残されている。 |
|