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曹洞宗の光禅寺は最上義光の菩提寺である。光禅寺は始め慶長寺と称し、最上義光が黒滝向川寺の九世春林弾冬和尚を招請して開創したが、元和年間に光禅寺と改称したという。明治以前まで、御朱印250石の寺領が安堵されていた。墓地内には、最上義光の五輪塔墓、最上家親・義俊父子の墓碑などが立っている。
光禅寺は、明治27年(1894)の市南の大火で全焼し、最上義光の御廟屋をはじめ、多くの寺宝も焼失した。庭園は、江戸初期の遠州流の庭園として市の名勝に指定されている。梵鐘は元禄11年、京都洛陽三条の釜座藤原国次の作である。 |
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