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平等院は、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)で採択された世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約に基づき「古都京都の文化財」のひとつとして世界遺産リストに登録された。このことは、人類全体の利益のために保護する価値のある文化遺産として、とくに優れて普遍的価値をもっていることを国際的に認められてことになる。
宇治の地は、宇治川を望む景勝地として平安時代には数多くの貴族の別荘がおかれるようになった。平等院はもと藤原道長の別業だったものを、その子関白頼通が永承7年(1052)に寺院に改めたものです。翌天喜元年(1053)に定朝作阿弥陀如来を安置した阿弥陀堂、すなわち現在の鳳凰堂が建てられ、さらに12世紀はじめまでには、法華堂・五大堂・経堂・宝蔵・多宝塔などの諸伽藍が造営された。
その後建武3年(1336)、足利尊氏と楠木正成の合戦による戦火のため大半の伽藍が焼失したが、現在は鳳凰堂と鎌倉時代再建の観音堂、鐘楼などが残っている。 |
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鳳凰堂は、中堂を中心にその左右に翼廊がひろがり軽快で優美な姿をみせ、背面には尾廊がのびている。中堂の大屋根の両端には鳳凰が飾られ、内部は絢爛な二重の天蓋、宝相華文様や螺鈿装飾、さらに雲中供養菩薩、壁壁画などで装飾されている。また鳳凰堂の前面には池を配した庭園が広がっているが、これらは西方極楽浄土を具現したものです。
創建当初には池岸の州浜が宇治川まで続き、対岸の山並みが迫っていた。この自然の景観を取り入れた日本固有の庭園形式は浄土庭園と呼ばれ、その後の阿弥陀堂を中心とした寺院庭園の原型となり、奥州平泉の毛越寺や無量光院、京都の鳥羽勝光明院など各地へ波及した。
平等院には、大和絵風九品来迎図(国宝)、梵鐘(国宝)、鳳凰一対(国宝)など平安時代の文化財が多数残っている。特に11世紀の仏像群としては唯一残る雲中供養菩薩像52体(国宝)は、いずれも雲に乗り、様々な楽器を奏で舞うなど、伸び伸びと繊細に彫り上げられている。 |
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<法花堂之路>
平安時代の平等院には、境内をめぐるいく筋かの小道があったことが記録にみえる。阿字池の東側を巡る野路(ののみち)、鳳凰堂の南側の高台をめぐる山路(やまみち)がそうです。この山路の一つとして法花堂之路(ほっけどうのみち)と呼ばれた園路があった。
法花堂之路は鳳凰堂南翼廊かた反橋(そりばし)を渡った対岸から始まる小道で、南に向かってのびていた。途中に頼通が建立した法華堂があったため、この名前が付いたと考えられている。
平成10年(1998)に、この位置で法花堂之路の一部が発掘された。見つかったのは、河原石を並べた階段で、反橋から続くこの路の起点です。法花堂之路はここから斜面を西に登り、そこから南へと続いていたと考えられる。発見された遺跡は地下に保存し、同じ位置に再現標示をした。 |
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