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廣圓寺の始まりは何年であるか詳でない。後柏原天皇、永正5年(1508)足利義吐澄の時代、足助香積寺三世笑荎和尚の弟子、器山周與和尚当寺に住す。時の市場城主鱸藤五郎親信、器山和尚に帰依して外護の大檀越となる。
爾来、肥後守長重、伊賀守直重、越中守長康の帰依を受け、地方の禅窟として隆盛をl極めた。
三世超雲祖越和尚、火災に遭い伽藍全焼す。
元亀2年(1571)城主鱸越中守藤五郎長康、客殿一宇を寄進す。
文禄元年(1592)太閤秀吉の改易に会い、落城後衰退の一路を辿る。
八世古倫鉞錐和尚、宝永5年(1708)仏殿一宇を建立、諸堂を修復し、禅風の昂揚に努む。
十六世大應義仙和尚、安政6年(1856)十方の檀信徒の浄財を募め現在の本堂を建立す。
廃仏毀釈、農地解放、宗教改革等の法難にも負けず現在に至る。 |
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曹洞宗。本尊は阿弥陀如来像。秋には境内のモミジ、イチョウ、四季桜などで彩られる。 |
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