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源空寺には、伊能忠敬、谷文晃、幡随院長兵衛、高橋至時らの墓がある。
<銅鐘>(台東区有形文化財)
源空寺は浄土宗増上寺の末寺。寺伝によれば、円誉同阿が天正18年(1590)湯島(現・文京区)に草庵を結び、多くの信者を集めたことに始まり、徳川家康も同阿に深く帰依したという。慶長9年(1604)草庵の地に寺院を開き、開祖法然房源空の名にちなみ「源空寺」と称した。更に、二世専誉直爾のとき、明暦3年(1657)の大火に遭って類焼、当地に移転した。
源空寺の銅鐘は総高2m22pで、江戸時代の銅鐘としては大型である。胴周りの銘文によれば、寛永13年(1636)三代将軍徳川家光の勧めをうけ、開山道阿が願主となり鋳造されたもので、徳川家康の法号「大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士」、同秀忠の法号「台徳院殿一品大相国公」、家光の官職・姓名「淳和奨学両院別当氏長者正二位内大臣征夷大将軍源家光公」を刻んでいる。
作者は「椎名勝十郎藤原義定」。鋳物師椎名家は、初代伊予吉次より代々徳川将軍家御用鋳物師を務め、本銅鐘の作者義定もその一族と思われる。
本銅鐘は、昭和19年(1944)に重要美術品の認定を受け、平成9年(1997)には台東区有形文化財として台東区区民文化財台帳に登録された。 |
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