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童女の手毬唄にもうたわれた笠森おせんは、明和年間、錦絵の開祖といわれる鈴木春信の麗筆により、水茶屋の美しい茶汲女として江戸中に名を知られた。おせんは春信の錦絵によって有名になり、春信はおせんによってその天分を発揮したといわれている。春信碑の撰文は笹川臨風、おせんの碑は永井荷風がこれを記している。 |
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<笠森お仙と鈴木春信の碑>
お仙は、笠森稲荷神社前の茶屋「鍵屋」の看板娘で、江戸の三美人の一人。絵師鈴木春信はその姿を、当時全く新しい絵画様式である多色刷り版画「錦絵」に描いた。お仙に関係の深い笠森稲荷を合祀している大円寺に、大正八年、二つの碑が建てられた。「笠森阿仙の碑」は小説家永井荷風の撰し、「錦絵開祖鈴木春信」碑は、文学博士笹川臨風が撰し、題字は、東京美術学校(現、東京芸術大学美術学部)校長正木直彦の手になる。
荷風の撰文は、漢字仮名交じりの文語調である。
女ならでは夜の明けぬ、日の本の名物、五大州に知れ渡る
もの、錦絵と吉原なり。笠森の茶屋かぎや阿仙、春信が
錦絵に面影をとどめて、百五十有余年、嬌名今に高し。
今年都門の粋人、春信が忌日を選びて、こゝに阿仙の碑
を建つ。
時恰大正己末夏 六月鰹のうまい頃
五大州は日本のことで、大正己末は大正八年にあたる。 |
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